鳳山紅毛港保安堂

大日本帝国海軍の駆逐艦が「神様」として祀られている。

鎮座するその廟の名前は「鳳山紅毛港保安堂(以後、保安堂)」…台湾の高雄国際空港から1キロ弱に鎮座するその道教廟は、まず外観からして既に他とは違う神々を祀っていることを宣言しているかのようである。

入口前には三本の旗ポールが立っている。一本目には保安堂の旗が、二本目には中華民国の国旗が、そして三本目には旭日旗が堂々とはためいている。

その下には、富士山と「思郷」と描かれた絵と、145名の日本人の名前が刻まれたパネルが配置されている。

アウトドアの画像のようです

本堂の中に入ると、本尊三尊副尊三柱を祀る壇の煌びやかさこと、他の道教廟とそん色ないが、それ以外の所では日本の「意匠」に満ちている。台湾の風合いを持ちつつも、落ち着いた詫び寂びの雰囲気を醸し出したものがある。

保安堂の開山時期は定かではない。元々は漁村の小さな祠だったが、日本統治時代の1923年に海中から引き揚げられた大腿骨を「郭府千歳」として祀ったのが始まりだとされている。

続いて、地元で亡くなった身寄りのない老人(陳)を1930年代に「宗府元帥」として祀り始めた。

そして大東亜戦争終結一年後の1946年、出漁していた紅毛港の漁民の網に頭蓋骨が一つかかった。漁師は、その頭蓋骨のために小さな祠に安置し、「海府尊神」としてお祀りしたところ、大漁が続いたことで、地元漁師から深く尊崇されることとなり、前二柱と合祀して、1953年に保安堂を建立した。その15年後に、 「海府尊神」 が漁師の夢枕に立ち、祠の拡張工事が行われた。

そして1990年、いつもの祭礼中、童乩(タンキー、道教におけるシャーマン)に 「海府尊神」 が突然降り、話せるはずのない流暢の日本語で

「私は日本第三十八号軍艦の艦長である」

と告げられた。
信者たちは驚き慌てふためいたが、日本語世代の信者が童乩の言葉を書き止め、調査確認…そして、1944年11月25日、アメリカ海軍潜水艦「アトゥル」によって撃沈された第三十八号哨戒艇・駆逐艦「」だと判明、お告げをしたのは最後の艦長で、乗組員145名と共に戦死した「高田又男大尉」と解明された。

この瞬間、 「海府尊神」 は「海府大元帥」と名を改め、地元の船大工らによって、「海府大元帥」と部下たちが魂だけでも日本へ帰れるようにと、1991年に「日本の軍艦」の模型を作り、海府大元帥の御座船「38にっぽんぐんかん」として奉納された。

1人の画像のようです

以後、台湾人宮司により毎日祝詞があげられ、地元において深く尊崇される聖地となった。

1人、立っている、室内の画像のようです

そして今では、日本と台湾の民間交流、日本文化や神道について学ぶ場として、多くの参拝客で賑わっている。保安堂周囲にも、数多くの日本関係の食堂や店舗が軒を連ねていて、台湾なのに、何となく懐かしい日本の風合いに満ちている。また何よりも、台湾人の優しさに触れられる。

2014年9月13日、ここに初めて参拝した瞬間、一旅行者でしかなかった我輩が、深く台湾と深い運命を持つことになった。

保安堂には、日本と台湾を結びつける御稜威が存在している。