我輩の宿を選ぶ基準

三線修行(?)の際に、かつて定宿にしてた那覇市のアパートメントホテル。安くていいんだけど、チェーンホテルとかのポイントを貯めたくて、最近利用していないな…。

宿は「寝る」だけの場所…そのように割り切りすぎると、逆に体力を失うことになり、プチ貧乏旅行の哲学から大きく外れてしまうことになる。「寝る」のと、「寝心地」とでは、意味は大きく異なる。前者はただ、身体的に寝るだけであるが、体力がそれで回復するのは一定の年齢以下であり、それ相応の体力が前提条件となる。重要なのは、後者である…寝ることによって、きちんと、どのような年齢であろうと、体力の強弱問わずに疲れが一夜で癒されるか否かが重要になる。

それ故に、まず我輩が宿を選ぶ基準として、個室であり、なおかつ冷暖房が完備しているかどうかにある。「贅沢じゃないの?」と思われるかもしれないが、この条件がまずあれば、トイレ、シャワーが共同でも一向に問題ない。神経質な人からすれば、見知らぬ人と同じトイレを使うのはあまり気持ちの良いものではないだろうが、逆に考えてみたら、外出の際にトイレはどうしているのか?そこもまた見知らぬ人と共有している所であろう?いや、衛生面を考えれば、もっと”リスキー”なものであろう。シャワーだって、同じように身体の汚れを洗い流すだけのことで、同じ垢も汗もすべて排水口に流れて行く…気になる人は、その排水口を見るからダメなのだ、と。

水まわりは宿にしたら、維持管理するのが大変面倒な場所だ。それぞれの部屋の湿気ある個所を毎日掃除すれば、その分だけ人件費はかかるし、宿泊料金に跳ね返る。それが一か所、トイレとシャワー室(東南アジアや台湾では、一緒の場合もある)が纏まっていれば比較的物事は簡単に済み、安く泊まることができる。それでもやはり気になるのであれば、一日に宿の共有トイレは2回、朝と寝る前だけと決めておけば良い。二回目のトイレで用を済ませ、その後でシャワーを浴びて、さっぱりしたところでベッドに入る…それでも衛生とか気になるようであれば、追加料金でやはりトイレシャワー付きの部屋を選ぶのが良いだろう。プチ貧乏旅行は苦行ではない。

次に重要なのは、部屋にテレビがあるかどうか。「外出して観光するのがメインじゃないの?」…無論、それも重要だが、テレビは現地における言語に慣れるために必要だということだ。

我輩だけなのかもしれないが、起床直後と就寝前、現地のテレビ局(現地の言語で放送していること。英語や日本語はダメ)にチャンネルを合わせ、意味が解らなくてもとにかく聴く、何とかして聴く、BGM代わりでも良いので聴く。すると2日目あたりから、なんとなく程度ではあるが、何を言っているのか、何を放送しているのか理解できるようになる。おかしな言い方であるが、現地の「空気」が「濃く」なり、音声が肌に沁みていくことで、直観的に「ああ、こういうことを言ってるんだな」と分かるようになってくる。

プチ貧乏旅行における重要事項の一つは、現地に「染まる」ことだ。滞在している間、できる限り、客でありつつも、現地の空気、現地のコミュニケーション、現地のやりとりに「染まる」ことを楽しまなければならない。その一つが、24時間、現地の言語に触れるということだ。テレビだけじゃなくても良い、ラジオでも、また現地のポータルサイトでも良い。長く滞在すればするほど、日本語で物事を考えることが薄れ、次第に現地の言葉、そして現地の人と同じ方法で考え行動するようになる。我輩は旅行中、Twitter以外では日本語で行動しなくなる。いや、Twitterさえも億劫になってしまい、次第に滞在する国やその街に深い共感を抱き、同化する…これが実に愉快なのだ(もっとも、一国だけ例外はあったが)。

初めて訪れる街の場合、公共交通機関に近いかどうかが重要である。慣れればどうってことはないが、やはり初めは電車や地下鉄の駅から徒歩数分内の所の宿を探すのが良い。移動が容易いのが理由ではなく、仮に迷っても、駅であれば宿へはとりあえず戻ることができる、そんなリスクヘッジからだ。コンビニも近くにあれば…とも思ったが、今どき、よほどの田舎でない限り、コンビニや売店なら宿の徒歩圏内にある。

そしてもう一つ重要なのは、朝食できる店が近くにあるかどうかだ。

安宿に食堂がついているということは、まあ殆どない。あったとしても、内容に期待しちゃダメだ。コンビニで朝食の代わりになるようなものを買うというのもあるが、それはちょっと味気ない。インターネットのホテル予約サイトを覗き、数軒の宿に絞ったら、グーグルマップを開く。そこから、Breakfastとか、早餐とか検索する。24hoursでも良い(インド系食堂はこのケースが多い)。するといくつか表示される。歩いて数分の所に、比較的評価の高い(完璧は期待するな、でも全員星一つというのも避けよう)食堂が近くにあれば、その宿に決定だ。

朝起きて、血糖値が下がっている場合、朝食を出す店を探しにうろうろするのは、非常に危険だ。治安とかではない。日本と違い、道路の状況がよろしくない国の場合、転倒し怪我をする恐れがある。なので、直ぐに腹の中に何か納められる食べ物を早朝から出す食堂が宿の近くになければならない。気に入れば、滞在中、そこに毎朝通うのがベストだ。日本人旅行者が毎日食べに来てくれるというのは、店からしたらちょっとした自慢になるし、サービスしてくれることも多い。英語や日本語のできる常連客から話しかけられ、旅情を豊かにしてくれるものだ。あと、最終日にも挨拶をして、次も来るよと言えば、意外と覚えてくれるものだ。

何度も言う、プチ貧乏旅行は苦行ではない。

出費をなるべく抑えながら、リスクを避け、体力を温存しつつ、訪れる国と国民に対して敬意を抱き、染まることが第一義なのである。

宿探しもまた、プチ貧乏旅行の重要な楽しみの一つである。

有名な観光地だと、やはりどうしても宿泊費が高くなるが、家族経営のプチホテルであれば財布をあまり泣かせることはない。マラッカで泊まったこの宿は、大航海時代の古商科を改築したもので、寝心地が大変良かったが、早朝、中学生位の息子がフロントでイビキをかいてたのには笑ったっけ。

効能:毎日に「高揚感」を与える

悪魔さえも数千人、過労死してもおかしくないゲーム業界に居た頃と正反対、ホワイト200%のお墨付きをあげても良いそんな職場環境にいるのだが、その反面、張り合いのない仕事しか与えられていない。障害者であるというのが最大の理由だ。我輩が一番軽蔑する元銀行員の前上司からは、

「おまえは、生きているだけが『仕事』だ」

と言われ、大声で怒り返したことがあったが、だからと言ってどうすることもなく、それが今いる会社の方針であるからには、辞めない限りそれに従うしかない。少ないが年金を合わせれば、一人で人生を全うするのに十分な給与ではあるが、その対価として、退屈な時間を無為に会社で過ごすしかないというのも、何とも情けない気がする。

いつもの時間に出社する。貸与されているPCがあまりにもダメダメなので、起動するまでの10分間、トイレで用を足して顔を洗い、コーヒーを淹れ、気の合うシステム室までちょっと顔を出して課長さんと雑談し、席に戻る。イントラネットを少し弄り、名刺データを追加し、社員DBを修正し、暴動で連絡が取りづらい香港のオフィスまで定期連絡をし、終了。あとは定時まで、どうやって時間を潰すか…って…

社内ニートじゃん、これ

で、どうするか。

iPadを持って、空いている会議室まで忍び込み、「ガルパンのワンドロテーマはこれか」ってな感じでラクガキを始めたりするが、流石に上司から渋い顔されてしまうので、今年に入ってから完全ではないが止めている。

ゲームを堂々とするようなことはしない。モニターが丸見えだというのもあるけど、どんなゲームをしているのか、今いる会社で知られたくないし、教えたくもないから。

昼行燈の象徴として、適当な理由を作って外出し、喫茶店で暇をつぶすというのもあるが、八丁堀界隈の喫茶店は全て喫煙が認められている。一度、その手の店を覗いたことがあるが、煙草の煙が天井から30センチくらいに溜まっている光景を見て、身体の向きを180度に変えて逃げ出した。それ以前に、副流煙は心臓に悪く、あの臭いには色んなトラウマがある。

結局、糞PCの前で日がな一日、座り続けるしか選択肢がない。

でもまあ、PCの扱いについては、システム室の皆さんには負けるが、少なくとも他の従業員よりは自身が大きくある。

Pythonを弄ったり、いくつかのベンチャー会社が提供するAIを試してニヤニヤしたり、動きが怪しいがUnityを入れて戦車を動かしたり、Wordpressで色んなプラグインを試したり…

「将来、会社の各種業務の自動化のための研究です」

そういう理由で、好き放題させてくれる。ありがたいことだ。

が、やはりどうにも、飽きてしまう。

そりゃそうだろ、「研究」とかしても、これらが今の会社に導入される可能性はゼロだ。なんで断言できるか、って?実は今まで、いろんなIT関連の改善案とか、新システムとかの導入について、上から命令を出され、喜々としてそれらを進めてたのだが、トップの気変わりであっけなく潰されたのが、五指では足りないくらいあったからだ。

そう。社内ニートになったというより、こういう目にばかり遭わされたものだから、こちとら会社に何かしたいという気持ちが消え失せて、率先して社内ニートになった…というのが正しいのかもしれんな。

会社としては、我輩一人で二人分の障害者扱いになる。いるだけで良い。こっちもそのつもりで、会社のために何もしない。WinWinじゃねーかよ。

で、こういうやさぐれた状況で、我輩を慰めてくれるのが、「次のプチ貧乏旅行をどうしようかな」と考えることだ。

旅行というのは、思い立った瞬間から始まっている。旅行を思い立ち、計画する時に生まれる「高揚感」が、日々の退屈さを和らげてくれるのだ。

いつも行くあの国へのアプローチは、あのLCCで。

入国したら、さて、どこに行こうか。まだ行っていないあの街へ行くことができるかな。長距離バスや列車の情報、安宿の情報とか、会社のPCからいくらでも調べられる。全部英語や現地語だから、覗かれても気づかれないし、いくらでも誤魔化すことができる。今度の連休は飛び石だから、二日間有休を使えば丸々一週間、旅行できる。エクセルを開いて、日付を入れて…ふむ、まず飛行機のチケットから…。

お金をあまり使わないで、小さな冒険心を刺激する。

ネットであらゆる情報を比較し、少し無理ができるかどうか、自分の身体と相談する。

安宿の近くに、朝食がとれるかどうか、どんな朝食なのか、その味を想像する。

これだけで、あっという間に定時を迎えることができる。

これらを毎日繰り返すだけで、旅行の日があっという間にやってくる。

プチ貧乏旅行は、サラリーマンとして一定の収入があるが、空しい日々を持て余す中年以上の人が得られる、「高揚感」だ。